木村栄文 レトロスペクティブ
先日ですが、渋谷区円山町にあるオーディトリウム渋谷にて行われております「木村栄文 レトロスペクティブ」を見に行ってきました。
木村栄文レトロスペクティブ 公式HP http://kimura-eibun.com/index.html
木村栄文氏(1935-2011)は福岡の出身。西南学院大学を経て1959年にRKB毎日放送へ入社。
数多くのドキュメンタリー番組を手がけた名ディレクターでもあります。
今回の催しでは12作品が公開されておりますが、このうち私が見たのは「鳳仙花 〜近く遥かな歌声〜」と「桜吹雪のホームラン 〜証言・天才打者大下弘〜」の2本。
ここではそのうちの1本「鳳仙花」について述べてみようかと。
作品紹介 ※http://kimura-eibun.com/lineup.htmlより引用
鳳仙花 〜近く遥かな歌声〜
Bongseonhwa│72分|1980年
●第35回芸術祭大賞
構成:金平洙 撮影:木村光徳 編集:粟村皓司 音声:遠藤裕己 朗読:江藤茂利、中川豊子朝鮮動乱の最中、人々を支えたのはそうとは知らず響いた日本のメロディだった。
それは終戦後「ポンチャック」に姿を変え、今なお歌い継がれている。
美空ひばりや韓国国民的歌手、文化人らへの膨大なインタビューと歌唱で展開する日本と韓国・朝鮮の近現代関係史論。
木村のときには酒を交えながらの体当たりの取材が冴え渡る。
冒頭で当時のソウルの街並みをそぞろ歩く、高木東六先生が登場します。
高木東六さんと言えば、かつてTBS系で日曜のお昼に放送されていた「家族そろって歌合戦」の審査員を勤められたお方。これだけでも実に懐かしい。
その後美空ひばりさんを始め数多くの歌手や作曲家、大学教授などがインタビューに登場します。
このうち、当時の韓国の国民的歌手とも言われた季美子さんがインタビューで
“韓国人がポップスを歌ったとしても、それはまだ欧米の模倣にすぎない”
といった趣旨のコメントを残しておりますが、それから30年後にK-POPが日本の音楽市場を席捲し、さらに世界へ広げようとするまで発展を遂げるとは、この時誰が予想したのでしょうか。
ドキュメンタリーでは数多くの証言で綴られておりますが、中でも当時日本で人気だった「古賀メロディー」が朝鮮半島内でも広く受け入れられた、という証言は驚きであり、私にとっても新発見でありました。
古賀政男さんの略歴を調べますと、7歳で故郷を離れ、旧制中学卒業まで朝鮮半島に移り住んでいたそうですが、この時の想いが彼の作曲する歌に込められ、やがてそれが当時の朝鮮の人々に受け入れられていった・・・・・と見る向きは自然かも知れません。
この頃の人々の苦しみは筆舌しがたいほどに想像を絶するものがあるのですが、それでも彼の地の人々の思いに寄り添おうとする人はいまして、例えば柳宗悦氏は「朝鮮を思う」の題で新聞に寄稿しているのですが、その中で柳氏は“日本人の本質”にまで踏み込んでいます。
この本質をよくよく読んでみると、現代の日本人が抱く本質と全く同じである事に驚かされる。
つまり先の大戦での敗北を経ても、日本人は全く変わっていない事を意味する訳でorz
このドキュメンタリーが制作されて32年が経つのですが、その間に日韓両国を巡る関係も様変わりしたように思えます。
音楽そのものも流行り廃りがあるのですが、戦前の歌謡曲に始まって演歌、ニューミュージック、そして今のポップス(J-POPそしてK-POP)隆盛へと繋がる一連の日韓両国音楽史に想いを馳せてみますと、思わず胸の熱さを覚えます。
一つの事象や文化に焦点を当てて考察する日韓関係史も、もっと盛んに研究されても良いのでは・・・・・・
映画館を後にした私はふと、こんな事を考えてみました。