鷹の爪の垢を煎じて飲む ~sideR~

群馬県の片隅から書き綴る、軟らかめのブログです。「R」には鉄道の“R”ailway 、福岡Yahoo!Japanドームや西武ドーム、クリネックススタジアム宮城での“R”ight stand .....といった意味が込められてます。堅めのブログは「sideL」にて。

今も生きる“反骨” 映画『ニッポンの嘘』

ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳の場面カット画像
先月ですが、福岡に行った折にKBCシネマにて、映画『ニッポンの嘘〜報道写真家 福島菊次郎90歳〜』を見てまいりました。

 ニッポンの嘘〜報道写真家 福島菊次郎90歳〜 公式サイト http://bitters.co.jp/nipponnouso/

今回はその時の感想について述べたいと思います。

作品解説(映画.comより引用)
戦後日本を見つめ続けてきた報道写真家・福島菊次郎の2009年から11年の3年間に密着したドキュメンタリー。
敗戦直後の広島で被爆者家族の苦悩を10年間にわたり撮り続けた福島は、それ以降も三里塚闘争、東大安田講堂、70年安保、あさま山荘事件水俣祝島など時代を象徴する数々の事件を25万枚以上の写真に収めてきた。
やがて保守化する日本社会やメディアと決別した福島は、無人島での自給自足生活を経て、愛犬との静かな暮らしを送っていた。
そして、胃がんの切除手術を受け自身の最期を自覚し始めた11年、東日本大震災が発生。再びカメラを手にした福島は、原発事故が起きた福島県へと向かう。

さて本題。
まずは目の前で次々と突きつけられる“真実”に圧倒されます。
それは正に『表に出ないものを引っぱり出して、たたきるける』が如く。
ヒロシマを出発点に安保、学生運動三里塚闘争、女性解放・・・・・そしてフクシマ
この人の歩んできた歴史は、戦後史そのものと言ってもいい。

広島の原爆被害者の姿を追った際の苦労話や“平和都市・広島”としてのありようにも打たれましたが、一番心を打たれたのは「三里塚闘争」に関してのところでした。
いまの成田国際空港のある場所、三里塚と呼ばれる一帯はかつて、農業の盛んな地域だったといいます。
雑木林だった場所を戦後に農地として開拓していったのですが、その後ご承知の通り新空港用地として国が強制収用、紆余曲折を経て1978年に空港が開港し、現在へと至るわけです。
ここで福島氏は闘争の模様を次々とカメラに収めるのですが、人々の表情どれ一つとっても鬼気迫る姿。そこで初めて写真そのものが“メッセージ性”を帯びてくるのです。そのメッセージ性に圧倒されました。
やがて闘争はシンボルである「放送塔」が倒壊することで終焉を迎えるのですが、その時放送塔のスピーカーから流れていたのが「ふるさと」の歌だったとか。
毎週行われている反原発デモの場においても「ふるさと」が歌われているのですが、40数年の時を超えての“偶然の一致”とは、いやはやなんとも。

※実はこの福岡行き、成田発着のLCCを利用して向かったのですが、成田空港を利用した事によるバチ当たりが後に降りかかるとはこの時つゆとも知らず(笑)
その時の顛末がこちら→sideLブログ「話題のLCCに乗ってみた」

そしてこの映画の主役である、福島菊次郎氏。
反骨精神を旨に、これまでにカメラレンズを通して戦後の日本そのものを批判して来た訳ですが、
「国を批判している人間が、国のお世話になる訳にはいかない」
との理由から、国民年金の支給を受けず、微々たる原稿料収入等で今も生活しているのだとか。

なんてFunkyな爺ちゃんなんだ!

私自身も常日頃「Funkyなジジイになるのが目標」などと心の中で思っていますが、この人には到底かないそうにない、とも思うのが正直なところです。
少しでも、この人の領域に近づけたらなぁ・・・・・・・・

そう言えばこの夏日本よ、これが映画だのキャッチコピーが世間を賑わせていましたが、私からは

「日本よ、これこそが映画だ。」

というセリフを、声を大にして訴えたいのです。