鷹の爪の垢を煎じて飲む ~sideR~

群馬県の片隅から書き綴る、軟らかめのブログです。「R」には鉄道の“R”ailway 、福岡Yahoo!Japanドームや西武ドーム、クリネックススタジアム宮城での“R”ight stand .....といった意味が込められてます。堅めのブログは「sideL」にて。

スポーツと戦争

本日(2012年8月15日)付の東京新聞中日新聞)1面コラム「筆洗(中日春秋)」にて、東京ドーム脇に設置されている石碑『鎮魂の碑』のことを取り上げています。

東京ドームの近くにたたずむ慰霊碑に、気付く人は少ない。刻まれているのは、沢村栄治、吉原正喜(東京巨人軍)、景浦将、西村幸生(大阪タイガース)ら、戦死した六十九人のプロ野球選手の名前だ▼名古屋軍の投手だった海軍少尉石丸進一の兄が、遺族代表として碑文を寄せている。二十勝を挙げた一九四三年暮れに応召。四五年五月十一日、海軍の鹿屋基地で特攻隊員として出撃命令を受けた▼<白球とグラブを手に戦友と投球 よし ストライク10本 そこで、ボールとグラブと“敢闘”と書いた鉢巻を友の手に託して機上の人となった。愛機はそのまま南に敵艦を求めて飛び去った>。二十二歳という若さだった▼伝説の投手沢村は、最前線で手りゅう弾を連投し投手生命を絶たれた。三度目の赤紙を受け、乗っていた輸送船が東シナ海で撃沈され、帰ってこなかった。二十七歳だった▼初代「ミスタータイガース」の景浦は二度目の応召先のフィリピンで戦死した。二十九歳。将来の球界を背負うはずだった多くの選手が戦地で命を失った▼<野球がやれたことは幸福であった><死んでも悔いはない>。白球とともに届けられた石丸の遺書には、そう書かれていた。悔いはない、は本心とは思えない。打ち砕かれた無数の夢や未来の上に、今があることを忘れたくない。今日は、戦後六十七回目の八月十五日。
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012081502000105.html東京新聞版)
  http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2012081502000097.html中日新聞版)

第2次世界大戦が終結して67年経ちますが、その間も戦禍が止む事はありませんでした。
スポーツの世界においても、軍事行為に翻弄されていた歴史があり、それは今も現在進行形であるように思います。

平和だからこそ、スポーツを思い切り楽しめる。
プレーヤーやアスリートの側も、そして観戦する側も。
この日、8月15日の新聞紙面に載ったコラムは、改めてその事について思い起こさせてくれます。

この地球上にある“無数の夢”を大事にしたい。
心からそう願ってやまない、8月15日という日。