鷹の爪の垢を煎じて飲む ~sideR~

群馬県の片隅から書き綴る、軟らかめのブログです。「R」には鉄道の“R”ailway 、福岡Yahoo!Japanドームや西武ドーム、クリネックススタジアム宮城での“R”ight stand .....といった意味が込められてます。堅めのブログは「sideL」にて。

【再掲】田中正造と南方熊楠

寒い中での仕事から上がりました後、職場の休憩所に入って暖房を入れ、何気なしにテレビを点けておりましたら、NHKEテレ(教育テレビ)にて、↓の番組が流れておりました。

日本人は何を考えてきたのか 第3回 森と水と共に生きる 〜田中正造と南方熊楠〜

この回では俳優の西島秀俊氏が田中・南方両氏縁の地を訪ね、彼らの足跡をたどりつつも人物像に迫り、何を訴えたかったのか、今の人達に何を伝えられるのか・・・・・・といった内容。
この番組内で登場した田中正造氏に縁のある場所、私の普段の生活範囲とほぼ一致するもので即座に反応(笑)、ついつい見入ってしまう。

人民のための政治家・田中正造

田中正造(1841-1913)氏と言えば、教科書にも載るほどの偉人でありますので、ご存知の方も多いと思います。
江刺県花輪(現・秋田県鹿角市)の官史を勤めた後、栃木へ戻り地元新聞の編集長、県会議員を経て1890年(明治23年)に衆議院議員となる。
この時足尾銅山から流出した鉱毒により、渡良瀬川下流地域で農作物に被害が出るなど問題化し、視察を行った上で議会にて鉱毒問題を取り上げる。
しかしながら時の政府は経営側と密接な関係にあったためか問題は改善の兆しを見せず、遂に天皇明治天皇)への直訴を敢行(だが未遂に終わる)。
その後“洪水対策”として遊水地が計画されるやいなや、(予定地であった)谷中村に住み着いて反対運動の先頭に立つも“政治の力”に跳ね除けられてしまう。
周辺をくまなく調査して独自に渡良瀬川治水への道筋を探ろうとするが、病に倒れて71年の生涯を閉じる。

曼荼羅南方熊楠

一方の南方熊楠(1867-1941)氏。
生物学や民俗学で卓越した知識と思考を存分に発揮した“知の巨人”。
現代ではさかんに言われている「エコロジー」を、日本で初めて提唱した人物としても知られる。
アメリカやイギリスで研究活動に勤しんだ後、帰国して和歌山に居住。
この時に「神社合祀令」が発令、複数の神社が統廃合されるとなると、環境保護の観点から反対の声を上げ、新聞に寄稿するなどをして訴える。
その後、民俗学者柳田國男氏と出逢う事で反対論が実を結び、やがて国会にて「合祀は無益」であるとされ、10年間にわたる神社合祀策に終止符が打たれる。
また、神島(かしま)の保護活動にも尽力。1929年には時の天皇昭和天皇)の前で講義も行っている。
神島は1935年(昭和10年)に天然記念物に指定、それから6年後の1941年(昭和16年)、74年の生涯を閉じる。
ちなみにこの南方氏は血気盛んな人物であったらしく、1898年(明治31年)には大英博物館内で暴力事件を起こし、1910年(明治43年)には神社合祀を推し進めようとする役人に会おうとするも拒まれ、手持ちの袋を投げつけたことで逮捕もされている。

“闘い”は今も。そして・・・・・・

二人の生き様を通して、自然を守ることへの気概、その目的を達する為には時の政府に抗(あらが)うことも厭わない・・・・・という姿勢が見えてくる訳ですが、これは今を生きる我々現代人に対して、強烈なメッセージであると言えましょう。
とりわけ、東日本大震災(いわゆる「3・11」)以後、田中正造氏に対しての評価が脚光を浴びているのは、人々からの渇望と言いましょうか、必然とも言いましょうか。
足尾銅山での鉱毒騒ぎの際、政府側は住民を護るどころか
 『少々の銅は体に良い』とも言い放ったそうな。
 このセリフ、どこかで聞き覚えのあるような・・・・・・・・(苦笑)

南方熊楠氏が反対した「神社合祀令」についても、(伊勢神宮を頂点とする)国家神道の確立としての側面の他に、潰した神社周辺の森から伐採した樹木を売り払って金銭にする、という面もあったそうです。
神道におけるヒエラルキーは、今も脈々と受け継がれているように思います。
 東京都千代田区九段下に所在するアレを頂点・・・・・・ゲフンゲフン

当時の時代背景から考えると、「富国強兵」の旗印の下に“強い国を目指そう”と、上記のような政策が取られていったのですが、結果的には多くの民衆が何らかの形で犠牲となっていった。
南方氏は神社合祀を批判する際『愛国心(に反する)』の言葉を用いていたのですが、政府の側と民衆の側とでそれぞれ考えていた社会の理想像そのものが、この時点でズレが生じていたのかも知れない。
その帰結として双方のズレが、この時代からおよそ100年後に起こった国難をきっかけとして“決定的に”大きくなってしまったのかも知れません。

この先、ズレは縮まっていくのか。
それとも、更に広がってしまうのか。
今を生きる現代人の、叡智が試されています。

  真の文明は
   人を殺さず
    川を荒さず
     村を破らず
      人を殺さざるべし
                   田中正造

=参照サイト=
田中正造 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0
不屈の田中正造http://www.ashikagatakauji.jp/tanaka/
田中正造 その行動と思想 http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/index4.html

南方熊楠 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0
南方熊楠の生涯 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.html